special

E.T.が制作されたころ、アメリカで活躍していたKUWAHARAのBMXナショナルチーム。

全世界で大ヒットしたE.T.のBMXのポスター。こちらもいまとなっては貴重。

映画「E.T.」公開20周年を記念して、2002年に復刻されたE.T.モデルのBMX。当時の部品の在庫があったからできた製品。公開当時はなかったカゴも付いている。限定発売だったため、今後、生産の予定はない。

「歩道を自転車に乗って速いスピードで走るのは危ないですね。最近はむちゃくちゃな自転車の乗り方をする人が増えてきた」と株式会社桑原インターナショナル社長の桑原拓男社長。

KUWAHARAブランドは、1985年の後も、先取の精神で自転車を作ってきた。小径車ブームの前、1997年、小径車"GOBLIN"は、EUROPEAN BICYCLE DESIGN CONTESTで日本車初の4位入賞となり、ロンドンのデザイン博物館に展示された。

E.T.のBMXは大阪で生まれた自転車だった。

E.T.を自転車の前かごに乗せた自転車が空を飛ぶ。 映画「E.T.」の名場面に使用された自転車は、日本の自転車ブランドKUWAHARA製のBMX*1だった。

KUWAHARAの本社は大阪市東成区今里にある。編集部と同じ大阪市内だ。これは出かけてみなくては、と、今里にあるKUWAHARAの本社に行った。

今里といえば、花街で知られる所だが、本社は静かな住宅街にあった。 株式会社桑原インターナショナルと書かれた建物が見える。これが世界のKUWAHARAの本社?  サイズでいうと、どこの町にもある散髪屋さんくらいの大きさ。 ドアを開けると、恰幅のよい桑原拓男社長がおもむろに立ち上がって、出迎えてくださった。

「映画が公開された1982年は、私はまだ37〜8歳でした。 そのころは、アメリカ全土をKUWAHARAのBMXナショナルチームがキャラバンでまわっていました。 KUWAHARAのバイクはクロモリ*2で強いし、当時、若い選手がKUWAHARAのBMXに乗ってよく勝っていたんです。
その時分に、スピルバーグ監督が映画「E.T.」に使う自転車のことを考えていて、 たまたま公園かどこかで自転車で遊んでいる子どもたちに、どこの自転車がよいかとたずねたら、 子どもたちが口々に、”KUWAHARA””KUWAHARA”と言ったというんです。
それで、映画にはKUWAHARAを使おうと思ったらしいです。 いや、スピルバーグ監督に直接会ってはいないんですけれど、そういう経緯だと聞いています。 実際、当時アメリカでBMXはKUWAHARAが一番出ていました」

KUWAHARAがBMXを開発したのは1972年のこと、日本でもいち早い取り組みだった。 オフロードの先駆けである。 1972年からアメリカ、カナダ、オーストラリア、ヨーロッパ各地へBMXの輸出を開始、 1979年ごろから世界各国で、KUWAHARAのBMXチームが編成された。80年にはMTB*3を開発、 カナダ、オーストラリアへの輸出が始まった。

E.T.がヒットするのはそんなころ。1982年、映画は空前の大ヒットとなった。 KUWAHARAのE.T.で使用されたBMXは世界中に輸出され、こちらも空前の大ヒット。 当時の日本の新聞には、桑原社長のにこやかな顔写真の横に「笑いがとまらず」というフレーズが踊っている。

「ユニバーサルにロイヤリティをかなり支払ったけれど、KUWAHARAブランドのロイヤリティも入ってきますからね。世界中で相当数出ましたね、東南アジアでは偽物も出ました」

どうやら本当に笑いがとまらなかったみたいだ。しかし、笑いがとまらなかったにしては、本社のサイズが…。 社長、工場は別のところにあるんですか?

「E.T.のころは東大阪に工場がありましたが、いまはありません。1985年のプラザ合意*4で、円高になったので、工場は閉鎖しました」

プラザ合意で、日本の自転車産業が壊滅におちいった、85年を境にして日本の自転車業界は終わった、と桑原社長は続けた。

「1ドル230円くらいだったのが、いっぺんに150円くらいになった。アメリカやヨーロッパのお客さんは、あまりに急激な円高で日本製の自転車は買えないというので、みんな台湾に流れた。日本の自転車メーカーも部品メーカーも廃業したり倒産したりしたね。残ったのはシマノをはじめ数社でしょう。うちも、迷惑をかけたらあかんということになり、五千万円の株を全部返した。技術のスタッフ5〜6人で、インドネシアで作り始めて、インドネシアから輸出していたのが、今後はヨーロッパでダンピング関税がかかってきたので断念。結局、特殊なタンデム*5とかは続けています。
あとは、ブランドは南米や旧ソ連圏、アフリカをのぞいて、全世界で登録していますから、いまも更新していますよ。外国で作ったのを外国で売るというロイヤリティベースと、2010年からは直接ヨーロッパなどで展開しています」

あ、だから本社はコンパクトで大丈夫なのか、と納得。それにしても、プラザ合意とは何だったのか。海外に行ってはブランド品を買っていた婦女子よ、いま何を思う。
E.T.のBMXのころは、日本が世界で一番いい自転車を作ることができた時代だった、と社長は言う。クロムモリブデン鋼を銀ロウで溶接する。すべて手作業だった。手で作るからいい自転車ができる。しかし、プラザ合意後、日本で生き残った自転車は、輸出と関係なく国内を相手にしていたママチャリだけだった。


KUWAHARA website

註釈

*1BMX
bicycle motocrossの略。ダートコースで速さを競うレースと、技の難易度を競うBMXフリースタイルがある。2008年の北京オリンピックで注目された。

*2クロモリ
クロムモリブデン鋼のこと。業務用自転車など自転車のフレームとして使われている。自転車のカタログなどに「人気のクロモリフレーム」などと書いてある。

*3MTB
mountain bikeのこと。今回の「cycle」紙上で、いくつかコースを紹介している。野山や林道を走る自転車。ちなみにMTVは、music televisionの略。

*4プラザ合意
1985年9月22日、ドル高の是正を目的に、ニューヨークのプラザホテルで行われたG5でなされた合意。1ドル=230円台が翌日からドルは下落、1年後にはほぼ半減、1ドル=120円台となった。

*5タンデム
2人乗りで、2人でこぐ自転車。一般公道では走れない場合がほとんど。長野県や兵庫県では公道を走れるようになってきている。KUWAHARAは、2009年の映画「ヤッターマン」の自転車の製作に協力している。